どうして、年間販売台数10万台のポルシェの営業利益は5千億円を超え、年間販売台数1,000万台のトヨタの営業利益2兆5千億円の5分の1もの利益を上げられているのでしょうか?
☆ フェラーリやポルシェが15%前後の営業利益率を上げられている理由は、彼らが人がモノを買う理由の内、一番目と2番目に多く金を払う理由、経営コンサルタント風に言い換えれば最も顧客ロイヤルティーが高い理由を押さえているのに対し、トヨタは一番消費者が辛い理由から売れているのに過ぎないからです。
☆ フェラーリやポルシェもトヨタも同じ自動車と言う商品を売っていますが、それを消費者が買う理由は、全く違うのです。
☆ 先に結論を言いましょう。フェラーリやポルシェは主に2つの理由から売れています。
一つは「自己満足」のため。
そしてもう一つは「誇示」するため。はっきり言えば「見せびらかす」ためです。
☆ それに対して、トヨタの車が売れる理由は(レクサス等を除く)「必要」だからであり、「便利」だからです。もしかすると、他より安いからと言う「利益」を求めると言う理由や、信頼出来るからと言う「保険」に関わると言う理由も加わるかも知れません。
いずれにしても、「自己満足」や「誇示」できると言う理由はトヨタを買う理由にはならないかなったとしてもフェラーリやポルシェに比べてかなり低いのです。もしかすると、本当はベンツが買いたいけど、ベンツは買えないから仕方なく「クラウン」と言う理由から買われる事もあるかも知れません。
☆ 「ベンツ」が買えないからと言うフレーズで思い出す、昔ある経営者から聞いた面白いお話をしましょう。それもモノを人が買う理由を考える上で参考になるからです。
その経営者は年商百億以上で利益率も15%を越えると言う超優良企業のオーナー経営者さんでした。ですから、ベンツはおろかロールスロイスだってキャッシュで軽く買おうと思えば買えるのです。事実、隠れてヘリコプターを持ってらっしゃいました。ヘリコプターは安いモノでも軽く億を超える買い物ですし、しかも、空港に整備士付きで置いておかねばならず、その維持費はロールスロイスどころか、ブガッティーやマクラーレンなどの希少車を凌ぎます。
でもその経営者の方はずっと「カローラ」に乗っていました。それは彼の経営する会社が部品を製造する会社だったからです。それも、何処か特定の企業に納入する部品ではなく、広く業界の殆どの企業、大企業から中小零細企業にまで使われる汎用部品を製造・販売している会社でした。
それで、部品を納入している企業に集金にもし「ベンツ」にでも乗っていけば、「ピカピカのベンツに乗れるくらい儲かっているなら、もっと安くしてよ」と言われかねないからです。集金先が儲かっているとは限りません。それどころか、赤字でいつ倒産してもおかしくないような企業も含まれます。例え集金先には「カローラ」で乗り付け、遊びの時には「ポルシェ」に乗ったとしても、何時誰に見られるか分かりません。そう彼は儲かっている事を「誇示」しないために「自己満足」を犠牲にしてまで「カローラ」に乗り続けなければならなかった訳です。
その抑え込んだ「自己満足」と「誇示」欲求の代償がヘリコプターでした。口の堅い、信頼できる友達だけ所有するヘリコプターに乗せて操縦する事で二つの欲求を満足させていた訳です。
☆ この儲かっている経営者の話で注目すべき点は、二つあります。
一つ目は、「カローラ」が売れる理由と「ポルシェ」が売れる理由は全く違うと言うこと。
そして、二つ目は彼が抑え込んだ「自己満足」と「誇示」欲を満足させるために隠れてでもヘリコプターを買ったということです。
☆ これは、「人がモノを買う理由」を考えるとして、あるいはもっと大きく「人は何を求めて生きるのか」を考える上で特筆すべきエピソードです。人はそれほどまでに「自己満足」、「誇示」欲求を抑えがたいのです。
☆ 人はなぜフェラーリと言う、人やモノを安全・快適に遠くに運ぶと言う自動車本来の目的からは余り性能が良いとは言えないモノを買うのか。それも、高価なフェラーリを一台買う毎にフェラーリ社は1千2百万円もの利益を上げるのだと知っていて。その理由を知るには、人がモノを買う理由を理解しなくてはなりません。そして、人がモノを買う理由を知るには人の欲求=欲望の姿、向かう所を知る必要があります。言ってみれば、人と言うものを知らないと、人が買ってくれるモノを造り出すことはできません。
☆ 上の図は人間の欲求(欲望)は人間の成長(心理的な成長)に伴い段階的に求めるものが自己実現に向かって変化していくと言う有名なマズローの自己実現理論(英語では図にあるように「Maslow's
hierarchy of needs」とマズローの欲求階層説とするのが一般的です)を図にしたものです。このマズローの欲求階層説はマズローが人間行動を観察して得た直観に基づいたものであり、決してアインシュタインの特殊相対性理論の様に実験で裏付けられた理論ではありません。
ですから、批判も多く受けています。ですが、頷けるものが多いために一般的に人間の行動を予測・判断する時に使われています。
☆ この表を持ち出したのは、くどい様ですが、人の欲求=欲望こそが人がモノを買う理由の源泉だからです。人の欲求を理解しなくては、人がどんなモノを欲しがるのかは分かりません。人が水や食料を求めるのはマズローの欲求階層説の一番下、土台に据えられているPsyological=生理的欲求からものです。強制か詐欺にでも遭わない限り、人が欲しくも無いモノを買う事は絶対にあり得ません。
その場合でさえも、脅迫された人は脅迫から逃れたいと言う欲求からモノを買うのですし、詐欺の被害者は、騙されてモノを買っている時点では純粋に欲しいと思ってモノを買っています。後からその買ったモノがニセモノと知って初めて「買わなければよかった」と後悔したり、「買わされた」と怒るだけです。
それは例え「オレオレ詐欺」に代表される電話詐欺の場合も同じです。オレオレ詐欺の場合は、オレオレと言っているニセの息子が起こした不祥事をチャラにすると言う言わば安全、安泰な生活と言う無形のモノを買っている訳です。被害者がどうしても買いたいと思う様なモノを仮にも見せなければ、詐欺は成立しません。幾らお婆さんに息子だと思わせることに成功しても、「壊れた自動車を買ってよ」と言ってはお婆さんからお金を引き出すことは難しいでしょう。
☆ オレオレ詐欺の場合が典型例ですが、無形のモノを人が買おうとするのは、安全・安心に関わるモノが多いです。安全・安心を求めるのは、マズローの欲求階層説では、ピラミッドの土台となっている生理的欲求に分類されているHomeostasis=恒常性を求めると言う欲求とその次に置かれている文字通りSafty=安全と分類されている欲求に基づいています。それ程までに根深い欲求だと言う事です。だからこそ、脅迫、詐欺と言う犯罪の対象となり得るのです。
☆ 安全・安心を求めると言う事は、裏を返せば危険・心配から逃れたいと言う事でもあります。食べ物を欲しがる、寒さから逃れる衣服を欲しがるのは人類と言うより生物の最も基本的な生存欲と言う欲求から直接的に出た欲望ですが、危険と言うのは人類最強のミーム(文化的情報遺伝子)です。危険・心配から逃れたいと言う欲望は直接的に今を生きたいと言う生存欲のと同様に強いものなのです。その強い欲求である危険・心配から逃れられるモノでなければ、腹の足しにもならない無形のモノが売れる筈もありません。直接に危険・心配から逃れしてくれ、安全・安心を与えてくれる「保険」と言う無形のモノが売れるのはそのためです。
☆ 「保険」と言うモノは、経済学が前提とする血も涙もない「合理的な人間」なら決して買わない商品です。「保険」で買えるものは、ヘルメットの様な実体のある安全ではなく、「いざと言う時」、事故が起きた時の保障と言う名の金銭=利得です。「いざと言う時」と言う将来起こるかどうか分からない将来の利得と言う金銭を買う時、経済学の前提とする「合理的な人間」は現実の出費と期待値を比較して現実の出費より期待値が大きい時だけその期待値を与えているモノを買いますし、その逆の場合、期待値が現実の出費より低ければ、絶対に買いません。期待値は得られるかも知れない利得×その得られかも知れない事態が起きる確率です。「保険」を買うための現実の出費はその保険が保障する保険金の額×保険金が支払われる確率より必ず低いからです。この事はわざわざ細かい計算をしなくても、簡単に証明できます。もし、保険の期待値である保険金×支払われる確率が現実に保険を買った人が支払う金額=保険料より高ければ、保険会社は明日にも倒産するからです。そもそもそんな保険料では保険会社は社員の給与を1日たりとも支払うことはできませんし、ましてや株主に配当することなど夢の夢です。ですから、経済学の前提とする「合理的な人間」やいざと言う時に支払われる保険金額などはした金だと思える様な大富豪は「保険」を買う事はありません。
☆ 先ほど、「保険」で買えるモノはヘルメットが与えてくれるいざと言う時の具体的な安全ではないとい書きました。ヘルメットは直接的に体を守ってくれます。ブレーキは事故の確率を減らしてくれます。でも「保険」は体を守ってくれなどしませんし、事故の確率も減らしてはくれません。「保険」を買おうが買わまいが、事故の確率は変わりません。むしろ「保険」がある事で安心して、少々無謀な運転をして事故の確率を増やしてしまうかも知れません。保険で買えるモノは、「事故ったらどうしよう」と言う心配の解消です。違う言葉で言えば、いざと言う時の平穏な生活です。恒常性です。
☆ このことは、意外と見落とされがちな大切な事を示唆しています。Homeostasis=恒常性を求めると言う欲求が、水や食料を欲しがるのと同じ生理的欲求=生存欲と言う本能に基づいた欲求に分類されているのです。体の安全を求めるSafty=安全と言う欲求よりも土台にある欲求だと言っているのです。マズローの言うHomeostasis=恒常性と言うのは、多分体に関する事だけだったの意味でしょう。ですが、文化的なものにもその恒常性を敷衍すると、大切なものが見えてきます。
☆ 恒常性を求めると言う事は、人は変化を好まないと言う事です。だからこそ、「住めば都」なんです。馴染んだ環境は居心地よく、人はそこに留まろうとします。急な変化は求められないのです。あまり美味しくなくても、子供の時から行っている店の方が、新しい店より入りやすいし、少々痛んできても、もう一回は使えるかと捨てずに洗ってしまいます。
☆ この人間が恒常性を求めると言う点を具体的な製品に反映させるとするとどんな事が見えてくるでしょうか?
⇒ 次回に続く。